HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2012/03/02

ようこそハルサイ〜クラシック音楽入門~
歌曲リサイタルは、歌手による朗読会?

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これまでの公演より ©大窪道治 青柳 聡

文・オヤマダアツシ(音楽ライター)

 数年前のことだが、シューベルトの歌曲についてのお話しを白井光子さんにうかがったことがある。そのときに語ってくれた「シューベルトの歌曲は、詩人たちが毎日の中で感じた喜びや悲しみを言葉に残し、それに共感したシューベルトがメロディを付けたもの。だから私は、歌うことで彼らの追体験をしているのでしょうね」という言葉は、筆者の歌曲に対する視点を変えてくれた。同じ日に(なんと幸福なことか)バーバラ・ヘンドリックスにも同じテーマでインタビューをしたのだが、彼女の「リサイタルの選曲は、詩を基準にしているんですよ」という言葉も、実に印象的だ。

 そうした視点で歌曲のリサイタルに接してみると、それはコンサートというよりも、歌手が主催する朗読会のように思えなくもない。歌曲の味わい方を熟知している方には「いまさらなにを......」と思われてしまうかもしれないが、音楽を聴くという行為ゆえ、どうしてもメロディや和声、そして歌手の歌唱テクニックなどに関心を寄せてしまいがちだ。しかし、歌曲とは言葉を伝える媒介だという意識をもてば、違った魅力に出会うこともできる。クラシックに限らず、ロックやジャズでも歌詞対訳を読んで「こんなことを歌っていたのか」ということに気がつき、曲の印象がガラッと変わった経験はないだろうか。

 筆者は残念なことに、ドイツ語やフランス語等の歌詞を瞬時に理解できる脳内変換装置(=語学力)は持ちあわせていないため、コンサートやCDで歌曲を聴くときには日本語対訳とにらめっこをすることになる。しかしそれでも、聴いていると、歌詞とメロディを結ぶイントネーションのリンクや韻律などを発見し、あらためて作品の魅力に気づかされることは多い。そして、その言葉にそっと寄り添ったり、ときには合いの手を入れたりするピアノという存在の重要さにも、あらためて気づく(というよりも、思い知らされる)ことになるのだ。歌曲リサイタルは、まだまだ発見に満ちている。


~関連公演~
東京春祭 歌曲シリーズ
【2013】
【2012】

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